写真だけじゃない! 衣裳からセットまで使い回して経費節減の裏ワザ
【第5回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■発売国が違えばバレない!? 同じ写真だけど曲名も歌手も違う!
レコジャケでの何らかの使い回しなど、どうでもいいことの最強部類だと思うが、これは探し始めると案外ハマる。ラテンの王様、ザヴィア・クガートの「BREAD, LOVE AND CHA CHA CHA」は、とてもセンスが良いジャケで、モデルの女性もイカしている。
女性の隣で巨大なパンを抱えているのは、楽団率いる指揮者クガート本人である。そしてモデルはクガートが楽団専属歌手として雇ったあとに妻にしてしまったアビ・レーン。と知ると、この巨大なパンの意味は?
男根でしょ! と思えてくるのだ。妻レーンに誇示するクガートの男根(=パン)。なんかエロそうな雰囲気をふたりでたっぷり醸しだしているしね。
アビ・レーンは、その後、女好きのクガートとは離婚してしまうが、歌手として人気があったので独立してソロ・アーティストとなり、数枚のアルバムを出す。そのなかの1枚がポーズも傑作な「BE MINE TONIGHT」。赤いバックにゴールドの衣装が映えて、なんともゴージャスでセクシーだ。
しかし、よく見るとこのゴールドのドレスって「BREAD, LOVE AND CHA CHA CHA」で着用したドレスと同じではないか!
「BREAD,~」が1957年リリース。「BE MINE~」は翌58年のリリースだ。ま、一年くらいは衣装は取って置くよね。減価償却的にもそのほうがメリット。でも芸能的には、ちょっと貧乏くさいかもしれない。
ちなみにふたつのアルバムはレコード会社が異なるので、衣装はアビ・レーンが私物を撮影スタジオに持参した公算が強い。アーティストもなかなか大変だ。スタイリストが全部揃えてくれるいまと違って、1970年代までは、当たり前のことだったのだが。
こういう凝った「使い回し」ではなく、もっと単純な写真の使い回しもあるでしょう、という意見も出そうなのは承知してます。でも、腐るほどあるような、たんに写真を使い回しただけじゃ、話として面白くもない。
そういうインパクトの弱さは承知のうえで、この「girl of my dreams」を紹介したい。艶然とカメラ目線で秋波を送る美女のアップ写真。よく見ると右下に小さくベッドでまどろむ男性が。ああ、彼の夢のなかの女性がこのアップ写真の美女ね、というわけだ。
RCA VICTORが使い回しが派手なことはすでに書いたが、洋楽の国内盤での使い回しはとくに派手だった。「GRAN OBELISCO Del TANGO」は、日本VICTORからリリースされた国内盤だが、写真は親会社RCA VICTORからの使い回し。テーマが違うということもあって、あろうことかベッドでまどろむ男性部分を製版で消してしまった!
ただの美女のアップ写真なんて芸がないでしょう、こんなの。遠近の極端なマニエリスム的手法あってのオリジナルの面白さだったのに。まあ、そこまでジャケット写真にこだわってレコード買う人もいないから、日本VICTORを責められるわけでもないのだけれど。
最後にアザーカットの使い回しの一例を。筆者収集の美女ジャケのなかでも最高の一枚が、メラクリーノ・オーケストラの「THE IMMORTAL LADIES」。
ブルー地にモノトーン写真。多重露光でのポーズの変化。小さくシンプルに置かれたフォント。それに長手袋をしたプラチナ・ブロンドの美女。もう、すべてが完璧。どれほどこれを探し回ったことか!
ところが、このレコードを入手する数年前に似たような感じの、でもサエないジャケのレコードを入手していた。マーティ・ゴールドの「ORGANIZED FOR HI-FI」。なんかモデルも、そのポーズも垢抜けない……でも似ている……いや、同じモデルが同じ衣装を着ている……そう、アザーカットだったのだ!
いやはや「デザイン力」とは、こういうものかも。最高の美女とB級美女とは、かくも紙一重なのだ。
美女ジャケとは、カメラマンやデザイナーによって「再創造=re-creation」された虚構の女神にほかならない。